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広島市西区己斐町(こいまち)

JR西広島駅周辺からやまあいに至る地域です。

己斐は山間地であることから、谷あいという意味で、峡谷の峡という字を「かい」と読み、峡(カイ)村から変化したをする説や、伝説として数多くの逸話が残る、神功皇后(じんぐうこうごう)が700年ごろ九州地方の勢力を征伐するために、この地に寄り、この地の主が、皇后に大きな鯉を献上したところ、皇后が大変喜ばれ、「おおー鯉じゃ、鯉じゃ」と喜ばれたところから、鯉村と呼ばれるようになった という説があります。



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広島市西区天満町(てんまちょう)

広島市内の中心、本通り商店街から西に向け進み、3つめの川が天満川です。その流域の町が天満町です。


広島の川の名前の一つにもなっている天満町ですが、もとは広島城の築城の際の土木工事のための普請小屋があり、小屋新町と呼ばれていました。
しかし、火災が度重なり、火の神様をお祭りするということになって、天神様である菅原道真をお祭りしました。
当時、菅原道真は、勉学の神様としてではなく、火災や雷の神様、天神様としてまつられることが多かったようです。天神様をお祭りする神社は天満宮と呼ばれ、これにちなんで、天満町となりました。天満宮の夏祭りは古く、8月の第3土日あたりでおます。この祭りは広島市の夏の終わりを告げる最後のお祭り、浴衣の着納めといわれています。


タグ:菅原道真
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広島市西区観音町(かんのんまち)



広島西空港から平和大通りに至るまでのひろい地域です

江戸時代初期に開かれた土地で、もとは開発者の名前をとり「新蔵新開」と呼ばれました。
新蔵は同じ頃この地に観音堂を建立した田頭氏の先祖と思われ、田頭氏は代々この堂を維持し、村の地主でした。

地名はこの観音堂に由来しています。観音堂は「観音院」と呼ばれるようになり、現在は東観音町になります。
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