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広島市中区白神社(しらかみしゃ)

広島市中区の平和大通り、ANAクラウンホテル南に位置します。

このあたりは、16世紀頃まで海で、船が海面につきでた岩礁に衝突し遭難する難所でした。
船人は岩の上に白い紙を立て浅瀬の目印として、船の安全をはかりました。その後、航行の安全を祈願し、このあたりにちいさな「祠(ほこら)」を建て 白い紙を目印にしたことから、色の白に神様の紙という字を当て”白神”(しらかみ)と名がつきました。 

毛利、福島時代には広島の総氏神となり、現在も白神社・しらかみさんとして広島の人々に親しまれる神社です


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広島市中区河原町(かわらまち)

広島市の厚生年金会館の川向かい、また、市電の江波線舟入電停東のあたりの比較的狭い地域です。


河原町には江戸時代に瓦焼場(かわらやきば)があったことから、漢字をかえての河原(かわはら)とかき河原町になったということです。
瓦焼場は、舟での運搬のことも考え、水運のいい場所に作られたと思われます。
水夫が多くすんだといわれる加古町の対岸で、すぐ隣に「神崎(かんざき)小学校」という、神崎(崎とは岬のこと)という地名が残っていることからも、この沖が長らく海であったことをその名は物語っています。
現在は、神崎という地名は残っておらず、「神崎小学校(住所は舟入中町)」という名前でのみ、そのことをしのぶことが出来ます。


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広島市中区小網町(こあみちょう)

平和公園から平和大通を西に進んだあたりに位置し、路面電車の小網町停留所があります

小網町のあたりは、昔、網打を仕事とする漁民が多く居住していたので網打小路(あみうちこうじ)と呼ばれており、地名はこれに由来します。
明治時代に西遊郭が近隣にでき歓楽街となり大変賑わいました。東遊郭は現在の平塚町あたりにありました



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広島市中区国泰寺町(こくたいじまち)

国道2号線沿いの市役所交差点あたりに位置し、広島市役所や広島市中区役所があります。


国泰寺は、毛利時代の重臣、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が開いたお寺です。
もとは、新安国寺安国寺不動院に対して、新安国寺といいましたが、江戸時代に入り福島氏にかわった後は、国泰寺と改名されました。
もともと、平和大通り大通りのANAクラウンホテル横あたりにありましたが、平和大通りをつくるための都市計画工事で、広島市西区の己斐峠に移転しました。それが国泰寺の地名の由来となっています。
現在でも旧国泰寺跡、白神社前には愛宕池という庭園あとが残っています。現在、その池に水はありませんが、池の石に彫られた竜は、潮が満ちてきたら泳ぎ始めるという伝説を残しています。
昔はこのあたりまで海の時代がありました。



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